PINK

Tuesday, November 7

Gift From The Sea by Anne Morrow Lindbergh

精神がささくれ立っている時によく読む本。
それも聖書のようにいつも手を延ばせば届くベッドサイドの引き出しの中にあって、開いた箇所から少しづつ読んでいるうちに気持ちが穏やかになってくる。
ずっと以前に友人から贈られたこの本は私の人生の宝物の一つである。

「海辺は、本を読んだり、ものを書いたり、考えごとをするのに、決して適当な場所ではない。 
何年にもわたる経験で、私はそのことを知っているはずだった。

温かすぎるし、湿気がありすぎる。
それに、頭を働かせたり、精神の飛躍を試みたりするには、あまりにも居心地よすぎる場所でもある。

何度繰り返しても、しかし懲りずに、色褪せたストローバッグにいろいろなもの、本や紙、返事の書き遅れた手紙や削りたての鉛筆、しなければならないことをメモしたリストと、張り切った気持ちもいっしょに詰め込んで、私は海辺に向かうのだった。
結局いつも、本は一行も進まず、鉛筆の芯は折れ、雲ひとつない空と同じ状態の何も書かれていないままの紙を持ち帰ってくるのだが。

海辺で私は、本を読みもしなければ、何も書かない。 
ものを考えることさえしない。
少なくとも、海に来たはじめのうちはそうだ。 
疲れきったからだがすべてで、航海に出た船のデッキチェアに全身を預けた時と同じように、何もする気になれないでいる。 
頭を働かせたり、予定通りに何かをしようと試みるたびに、海の原始的なリズムに押し戻されてしまうのである。

...................


そうして、二週間目のある朝。 漂うだけだった私の心が目覚め、働き始める。
都会のそれとは違う、あくまでも、海辺での覚醒、海がもたらす知恵とでも言ったらいいだろうか。 
目覚めた心は、海辺に碎け散る波とともに漂ったり、戯れたり、巻き上げられたりしはじめる。

心のどこか遠くに起きたこれら無意識の波が、目覚めた意識の白い滑らかな砂の上に、偶然どんな宝物を打ち上げるか。 
みごとに磨かれたどんな小石を、あるいは、海の底にあるどんなに珍しい貝を打ち上げてくれるかはわからない。
にし貝、つめた貝、あるいはあおい貝もあるかもしれない。

しかし、それらの宝物をこちらから探そうとしてはならないし、ましてやそれを手に入れるために、砂を掘り返してはならない。
ここでは、海の底を網で漁るようなことは禁物だし、そうしたところで、目的を達成することはできないのだから。
海は、もの欲し気な相手や貪欲なもの、焦っているものには何も与えてはくれない。
砂を掘り返して宝を探すというやりかたは、せっかちであり、欲張りであり、さらには、自然への配慮のない行為である。

海は、柔軟性こそすべてであることを教えてくれる。 
柔軟性と、そして率直さ。

わたしたちは、海辺の砂浜と同じように空っぽになって、そこに横たわっていればいいのだ。
海からの贈りものを待ちながら。」

落合恵子 訳

(最近考えるのは、落合氏以外にこの本を訳した人がいないかということ。 他者の訳でも読んでみたいと思う、今日この頃...)

2 Comments:

At 4:19 AM , Anonymous Anonymous said...

今回参加したワークショップで、インプロ(即興劇)のワークが結構あったんだけど、「人間の体の70%は水で出来ています。だから、体の水を感じましょう。海になりましょう」っていうワークをやったの。それを思い出しました!

 
At 12:36 AM , Blogger PINK said...

それで、海に行くと何故か気持ちが落ち着くのかしら。
海と自分の体の海とが呼応するような一体感を確かに感じるもの。
そういうワークショップ私も参加してみたいわ。

 

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