
日本のことを思う時、最初に浮かんで来るイメージは、温泉の中につかっている自分の姿である。
日本猿が、白く立ち上る湯気の中で、老いた哲学者のように夢想している姿も、そのイメージの右横くらいに浮かんで来る。
左奥には、もう一匹、哲学者風情が背中を向けて、熱いお湯に浸かっているはずだ。
ふわり、ふわりとぼたん雪が降っている。
私の目の前に、ぽっかり浮かんだお盆の上には、おいしい熱燗とおちょこがある。
もちろん、私の頭の上には、白い手ぬぐいが 小さくたたまれて、乗っているに決まっている。
私と日本猿の他には誰もいない。
まるで、典型的な温泉シーンで、銭湯の壁に描かれた、富士山とさくらの組み合わせ並みである。
ところで、実際そんな所って日本にあるのかなあ。
猿は私をひっかかいたりしないかしらん。
昔子供の頃、、猿のいっぱいいる島で、真っ直ぐに猿と目を合わせたら、ばしっと手をひっかかれた。
自分の体より小さいからって、見くびっていたら、やはり、たたき方は大人の女性なみだった。
だから、猿にも一目おくようになった。
なんでも、小さい時に学ぶものである。
今でも私は、失礼にならないよう、人をさり気なくぼ〜と見る術をわきまえている。
だから、私も、そこでは、目を閉じた哲学猿のように、知らん振りして、じっとしているべきかもしれない。
実際に行く温泉は、私の帰国次第、日本の身内がすでに全てを準備万端整えていて、一同身軽な手荷物で東北地方へと向かう。
そこには、フルーツ風呂、酒風呂、コーヒー風呂等、ありとあらゆる工夫されたお風呂がある。
フルーツ風呂の常連はオレンジ、レモン、リンゴ等で、時折、子供がかじった跡のあるものも浮かんだりしている。
ジョンレノンのドローイングのある建物、さまざまな絵画、エミールガレのガラス美術やらのある建物、なにもかもチャンポンでおもしろいところだ。
10分ほど歩いた先には、フランス人の彫刻家だった、ニキ.ド.サンフェルの美術館も、緑の散歩道の行き着く先にあったりする。
各種のビュッフェがあって食べ放題。
あと、カラオケがあれば、最高である。
ずっと昔、若き乙女だった友人たちと、滞在先の温泉で飲んだことがある。
すっかりいい気分で、私が最後まで歌えるたったひとつの演歌、”すずめの涙”を心を込めて歌っていたら、どこかの老人会のグループが突然、立ち上がってダンスをし始めた。
この歌は、べったべたの演歌ではなくて、少し節まわしを変えるとシャンソンのようにも聞こえる。
だからその頃はよく歌った。
ミラーボールがきらきら回っていて、赤い桜の花びらが壁に流れて行くので、その二つだけで、私はもう夢見心地。
お酒の勢いで私も乗っていたけど、皆さんもなかなか腰が軽くて、いいなと思った。
誰かが私に、紙の花吹雪を渡してくれたので、それぞれのカップルの廻りにふりかけたりもした。
声楽を長く習っていたので、歌うとその表現と演出にまで、一生懸命になってしまうのだった。
"あんた、枯れ木にすっかり花咲いちゃったよ〜!”
酔っぱらったおじいさんが、半分眼鏡をずり落として、嬉しそうに叫んだ。
向かい側のおばあさんも、赤い顔で、”あはは〜”と、口に手をやって笑った。
そんな頃の無邪気な私も、もういない。
残るは甘くて、恥ずかしい青春の思い出だけである。
さて、ここで私はアメリカ生活の心身の垢を落とし、泥炭石鹸で体を清め、ふんだんの海の塩をつかって、少しは痩せようとするけれど、ビュッフェがおいしいので、結局は太って帰ってくる。を繰り返している。
私は、女風呂につかって、人間ウォッチングをするのが好きだ。
これは、よくスケッチをしたり、彫刻をしていたせいで、お風呂の中では、みんな素顔でありのままなので、なんとなく興味をそそる。
それをいえば、私はカフェでも、レストランでも人間をよく見ている。
その動作、声の質、その言葉遣い、皮膚の色、体の線、感触(できれば)。
透明のくらげのような、ビニールのヘアーキャップをかぶった女性の湯治客を見るのも好きだ。
多くの人々はお年を召していらして、右側の手すりにつかまりながら、一人、また一人と、静かに浅瀬から、深瀬へとそのくらげのようなキャップをかぶりながら体を沈めていく。
とても不思議なシーンで、考えようによっては、ちょっと神聖な儀式めいてもいる。
その透明キャップの人々の頭は、みんな海に帰るくらげなのだ。
そして、ふと見上げると、湯気が立ったところに、満月がぽっかり浮いている。
その幻想的な浜辺から、人魚姫のお話のように、丘の上では生きられないくらげが、そろそろと、静かに海に帰って行くのである。
と、そんなことを想像して、楽しんだりもしている。